コンプライアンスと企業倫理

今期履修の授業の一つ、「コンプライアンスと企業倫理」について。元々前職でコンプライアンス関連のソフトウェア製品を担当していたこともあり、非常に興味のある分野。当時は正直言って深い知識のないままCSRの話など人前でしていたけど、その本質について学ぶ非常にいい機会に恵まれた。

講師は、高巌(たか いわお)先生。学者でありながら様々な会社の社外取締役を歴任しており、最近だと日興コーディアルグループのあの調査報告書(PDF)を作成した委員会メンバーでもあった人だ。間違いなくこの分野における第一人者の一人だろう。学問としての体系的概念の説明と実務で経験されたエピソードのバランスが程よく、期待通り非常にためになる話が聴けた。例として日興コーディアルの話が何度か挙がった。調査報告書は当初は内部向けのものであったが、当社の自主的な判断で公開をしたという公明正大な姿勢は評価していいのではというコメントは印象深かった。残念ながら詳しい内容は書けそうにないが、本件に関しては、isologueに調査報告書の中立的な分析があるので、興味ある人は読んでみて下さい。

改めて思ったのは、やはりこの分野はとても重要だなと。「企業の究極の目的は利益を最大化することで、会社は株主のもの」というビジネスの分野で一般的に言われている原理に、僕は若干の抵抗感を持っている。いやそこには会計やファインナンス、組織など各分野の様々なコンテクストがあるので、同意する部分もある。しかしやはりその考え方そのものに対してもそうだし、「そういうものだ」と断言してしまう画一的な価値観、ステレオタイプな視点に違和感を感じるのだ。「会社は株主のものなのか? 社会のものという側面もあるんじゃないの? そっちのほうが究極的には大切だと思うけど。」という見解は結構受け入れられなかったりする。

アメリカのビジネススクールはここ最近一層Business Ethicsに力を入れているらしい。背景にあるのはエンロン事件である。CEOだったジェフリー・スキリングはハーバード出身だが、在学中のエピソードが印象深い。あるクラスのケースで「自社の販売している製品が環境汚染を引き起こすことが判明した。経営判断としてこの製品を売り続けるか。販売を差し止めるべきか。」というお題があったらしい。スキリングの答えは「企業の目的は利益の最大化であるから、売り続けるべき。もし販売を止めるのであれば、政府や法など外部の力によって止めるべきだ。」というもの。スキリングはHBSを大変優秀な成績で卒業してマッキンゼーに入り、そして最後に起こしたのがあのエンロンの粉飾事件である。(ちょっとうる覚えなので申し訳ないのだが、ソースはこの本だったかな?) 言いたいのは、どんなに頭が良くてビジネスの能力が高くても、根本に正しい倫理観や正義がなければ評価はされるべきでない、ということ。(これ、かなり真面目に思ってたりするのであるが、僕が言うとどうしても陳腐になるなぁ。)

まあ、決して単純な話ではない。社会的責任投資(SRI)だって企業価値向上(っていうか株価の向上)のために、戦略的に行われるべきだと思うし、倫理一辺倒で会社が存続できなければ意味はない。先生が90年代アメリカの大学にいた時、Business Ethicsを研究しているとアメリカ人の友人に話したら、「その言葉、形容矛盾で面白いね。」と笑われたらしいが、BusinessとEthicという概念は、理想と現実の中で相容れないことが間々あるのである。


様々な理想と現実の狭間を真摯に見てこられた高先生によるクラス、こんな機会はめったにないと思う。このクラスを通じて法人としての倫理の本質を、自身の価値観と照らし合わせてじっくり考えてみようと思う。